情報インプットと発掘戦艦
医師という商売は誠に幅広いものでして、みなさんが想像する病院・医院の臨床医のみならず、大学の教官・研究者・医療行政などさまざまな業種に就くことができます。もちろん大多数の先生方は、臨床医もしくは大学のスタッフに属していることと思います。どちらに所属していても、最近の先生方は非常に勉強熱心で色々なメディアから十分な質・量の情報を取得しておられるようです。ネット普及前の時代を経た私たちオールド世代にとって、情報へのアクセスが容易な現代社会を羨ましく感じることもあります。ただ、どうしても「これでいいのかな?」とすっきりしないことが存在することも事実です。今回はそんなお話しです。
私のメールボックスには、某領域に属する先生方のメーリングリストから定期的に勉強会のご案内やジャーナルクラブの内容紹介などが送られてきます。つらつらと眺めていてもためになる内容が記されていることが多く、自宅でのんびりとしながら色々と「知識の餌付け」をされているようで何となくやり遂げた感を自覚してしまいます。そんな中で、また別の違和感をも感じてしまいます。この違和感は一体何だろう・・・ある時、ようやくその違和感の理由に気づきました。そもそも私たちドクターは、学生時代から「学ぶ」ということに慣れています。というより慣れすぎていて、医師になっても「学んだ」ということで満足してしまう傾向にあります。確かに、ときには学んだことで目の前の受け持ち患者さんの問題点の解決に役立つ方針を見出すことが出来ることもあるかも知れません。ただ、それで私たちの仕事は終わりなのでしょうか…?
改めて考えてみれば当たり前のことですが、今現在私たちが患者さんに施している治療は、20〜30年前の医師たちや製薬会社の研究者たちが研究・開発してくれた器材や薬剤を使う事により成り立っています。循環器領域における新規降圧薬や心臓カテーテル治療、消化器内科領域における内視鏡的腫瘍切除や抗肝炎ウイルス薬、糖尿病内科領域ではDPP-4やSGLT-2の阻害薬、外科領域における腹腔鏡・ロボット手術など枚挙にいとまがありません。私たち呼吸器内科領域でも吸入ステロイド薬やチロシンキナーゼ阻害薬・非挿管式陽圧呼吸など、現代の医療に欠かせない器材や薬剤はそもそも「過去の」遺産であるわけです。少し昔のアニメで古代の発掘戦艦で地球外生命体と戦うというものがありましたが、現在の医療はまさにその発掘戦艦で敵と戦っている状態です。そうであれば、今現代に生きる私たちが新規に様々な新しいデバイスや治療薬を生み出さないと20〜30年後の世代には新たな発掘戦艦(=治療的進歩)もないことになります。「学ぶこと」はもちろん大切ですが、その学んだことから新しいことを発見して次世代に進歩を遺すことはもっと大切なことではないでしょうか?即ち、インプット(=学ぶこと)だけでは不十分であり、その学んだことから新しい知見やアイディアを生み出して報告(アウトプット=新たな知見を論文化することですね)まで達して初めて意味があることといえるのです。
当科では、若手の先生方にも積極的に日常臨床で見出した新しい知見の論文化を促しています。それは、あまりにも便利になりすぎてアウトプットを忘れた現代の医学へのアンチテーゼともいえるものです。今このブログを読んでいる先生方も、抄読会だけで満足することなく「その先」こそが真に重要であることに気付いて欲しいなぁ、と思っています。