同愛記念病院アレルギー呼吸器科のブログ

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コイントスの統計学

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平等院鳳凰堂(10円玉の裏にあります)


いうまでもなく、医学とは理系の学問でありサイエンスです。それゆえ受験科目には数学・物理・化学などの理系科目が英語とともにガッツリと課されていることがほとんどです。かくいう私も、理系のセンスなど皆無であり受験の際には苦労したものです。なってしまえば実はそれほど数学や物理にはお世話になることはない業務内容なのですが、どうしてもついてまわる理系科目が「統計」です。今回はそのお話しです。

 みなさんは有意水準とかp値という言葉を目にされたことがあるでしょうか?森羅万象はすべて統計学的に予測可能であるという神をも恐れぬ仮説から導き出される結論の横で、燦然と輝いているあの数値のことです。物事を比較するときに、AとBとは有意な差があるとするならば「差がない」確率が5%以下ならば「差がある」とみなすことになっており、p<0.05(有意差あり)と表現されます。ほぼほぼすべての医学論文ではこの有意水準が適用されており、たとえば胃潰瘍の治癒率は薬剤Aのほうが薬剤Bよりも高い(p<0.05)のように結論づけます。そうなると、薬剤Bよりも薬剤Aのほうが治る確率が高いですのでたとえ薬剤Bで無事に治癒する患者さんが経験上多少いようとも、処方医の気分としては薬剤Aを優先的に使いたくなるわけです。そもそも1/20以下で生じる可能性があることを「起こりにくい」として棄却(=なかったことにする)のが本当に正しいことなのか、これはなかなか難しい問題です。たとえばコイントスをして5回連続で表が出る確率を計算してみますと1/25=1/32=約0.03となります。0.03は0.05未満ですので、統計学的にはコイントスが5回連続で表が出ることは(限りなく)起こりえないということになります。コイントス5回連続で表ならばひたすら挑戦すればたまにはそうなりそうな気がしないでもないですが・・・このような統計学的処理は、医学の進歩には不可欠であり理にかなった治療の選択という面で大切な役割を果たしてきたことは確かです。しかしながら、その結果をすべて盲信して目の前の患者さんの治療方針(上述のように薬剤Bではなく薬剤Aを用いる)を決定しても良いのでしょうか?

 

医学論文を理解する際には、気を付けなければならないことが2つあります。第一はその研究の対象の特徴が自分の目の前の患者さんのそれと同じであるのかということです。臨床研究の場合、対象になる患者さんの特徴(年齢・性別・人種などのさまざまなスペック)が最終結果に大きな影響を及ぼします。ある肺がん治療薬では世界中の対象患者全体では有効性が認められなかったのに、人種をアジア人に絞って再解析したところ有効性が認められたなんてこともあります。P<0.05を鵜呑みにする前に、サンプルセレクションが参考にするに足りるのかどうかを検討しなければなりません。二つ目には、そもそもp<0.05という基準そのものが適切なのかということです。いきなりちゃぶ台をひっくり返すようになりますが、そのためにはp<0.05が出てきた経緯から理解しなければなりません。そもそも古典的な統計学のターゲットは「農業」への応用でありました。あなたの畑の作物を95%以上の確率で無事に収穫できるよう、決断選択するために各種パラメータを入力して意思決定することで安定した収入を得るために考案されたものなのです。確かに20年に1度は凶作でも残りの19年が豊作であれば(多分)農業を続けていけそうな気がします。人命とは異なり、苗木1本くらいロスしても「誤差」として処理できる農業ならではの発想といえるでしょう。しかしながら、医学は農業とは違います。1/20(以下)の確率で結論がひっくり返されるような事象を、ときには人の命にかかわるような意思決定にそのまま応用してもよいのでしょうか?厳しい言い方をするならば、p<0.01でもまだ甘いのかも知れません。それでも、現実世界の臨床研究ではp<0.01の有意水準では基準が厳しすぎてなかなか論文が出なくなるものと推測されます。人命を預かる医療従事者として、本来は農業対象(であった)統計学をこれからどのように医学に応用すべきなのか議論しなければならない時期にさしかかっているのかも知れませんね。